新虎通りエリアマネジメント

新虎通りについて

新虎通りは、2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックの際に、選手村とスタジアムを結ぶ重要な道路の一部として位置付け られており、道路を賑わいの場として活用する「東京シャンゼリゼプロジェクト」も展開されています。
さらには、広幅員歩道部の沿道一体が「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」に基づく街並み再生地区に指定されており、東京の新たなシンボルストリートとなる新虎通りを抱くこのエリアは、今後さらなる魅力的な街への進化が期待されています。

※「新虎通り(しんとらどおり)」は環状二号線(新橋~虎ノ門)地上部道路の愛称名です。地域の方々を中心とした「環状二号線(新橋~虎ノ門)地上部道路愛称名選考委員会」において、平成25年5月~3月に公募を行い、平成25年5月に決定しました。

※新虎通りが区間の一部を構成する「環状第二号線」は、江東区有明から中央区、港区を経て千代田区神田佐久町を終点とする全長14kmの都市計画道路です。

地域連携の経緯

1946(昭和21)年
環状第2号線の都市計画決定(幅員100m)
1950(昭和25)年
環状第2号線の幅を40m に変更
1989(平成元)年
立体道路制度の創設
1996(平成8)年
「環状2号線(新橋~虎の門)地区まちづくり協議会」設立
1998(平成10)年
市街地再開発事業の都市計画決定(約7.5ha)
都市計画変更(平面街路から地下トンネルへ)
2000(平成12)年
市街地再開発事業の事業計画の変更(約8.0haに区域拡大)
2002(平成14)年
市街地再開発事業の事業計画の決定
「環二地区再開発協議会」設立
2003(平成15)年
環2まちづくりを語る会 発足
環状第2号線(海岸通り~桜田通り間、約1.5km)の事業認可
2006(平成18)年
環状二号線地上部道路計画検討会(以降、17回開催)
2007(平成19)年
Ⅱ街区(グランスィート虎ノ門) 完了
「環状2号線新橋地区環境・まちづくり協議会」発足
2008(平成20)年
道路景観分科会・交通対策分科会(以降、5回開催)
2011(平成23)年
Ⅰ街区(新橋プラザビル) 完了
環状第二号線(新橋~虎ノ門)地上部道路景観検討委員会開催(計3回)
2013(平成25)年
環状第二号線(新橋~虎ノ門)地上部道路愛称名が公募により「新虎通り」に決定
新虎通りエリアマネジメント準備会発足
2014(平成26)年
外掘通り~第一京浜間が開通
新虎通りエリアマネジメント協議会発足
Ⅲ街区(虎ノ門ヒルズ)完了
2015(平成27)年
一般社団法人新虎通りエリアマネジメント設立

新虎通りエリアの歴史

江戸時代

北を江戸城の外堀、西を愛宕山、南を芝増上寺とそれに連なる寺院群、東は汐留川を挟んで浜離宮に囲まれており、江戸城に近いことから、武家屋敷、それも徳川家に近い譜代大名の屋敷が多く集まっていました。

明治

明治5年(1872)に、日本で最初の鉄道が開通し、新橋駅(現在の汐留駅付近)が開かれました。その後、明治36年に日比谷通りが整備され、明治42年には烏森駅(大正3年に新橋駅)が開かれました。こうした大通りと鉄道により、近代都市としての骨格が形作られました。

大正

新橋駅周辺は銀座の延長として発展し、カフェー、料理屋、飲み屋でにぎわい、繁華街となりました。また、日比谷通りの整備により、丸の内などのビジネス街との関係が深くなるにつれ、大企業や、それらの事務所・商店が新橋地区に集積するようになりました。しかし、大正12年、関東大震災の影響による火災が広範囲に広がり、芝区役所(当時)をはじめ多くの建築物が消失しました。

昭和

関東大震災後の復興事業として、昭和2年から昭和7年ごろにかけ、区画整理が行われました。昭和30年代に入り、経済成長がめざましくなると共に、都心のビル建設は大手町・丸の内からこの地域へとのびはじめ、昭和39年の東京オリンピックを契機に道路は大幅に拡張され、経済の高度成長を背景にビジネス街として発展し、現在の業務・商業・居住といった複合的な機能を有するまちが形成されていきました。

出典:環状二号線周辺地区まちづくりガイドライン抜粋(港区 平成24年3月)