新虎通りエリアマネジメント

新虎通りについて

新虎通りは、2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックの際に、選手村とスタジアムを結ぶ重要な道路の一部として位置付け られており、道路を賑わいの場として活用する「東京シャンゼリゼプロジェクト」も展開されています。
さらには、広幅員歩道部の沿道一体が「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」に基づく街並み再生地区に指定されており、東京の新たなシンボルストリートとなる新虎通りを抱くこのエリアは、今後さらなる魅力的な街への進化が期待されています。
2019年4月17日には、新虎通りが、国家戦略特区(国家戦略道路占用事業)として認定されました。
2023年3月17日には、東京都内で初めて「歩行者利便増進道路(ほこみち)」として利便増進誘導区域に指定されました。
道路法の特例を活用し、広告塔・看板等の設置、食事施設・購買施設の設置、各種イベントの開催による賑わいの創出等を図っていくこととなります。
参考: 第25回東京圏国家戦略特別区域会議東京都提出資料 (PDF形式)

※「新虎通り(しんとらどおり)」は環状二号線(新橋~虎ノ門)地上部道路の愛称名です。地域の方々を中心とした「環状二号線(新橋~虎ノ門)地上部道路愛称名選考委員会」において、平成25年5月~3月に公募を行い、平成25年5月に決定しました。

※新虎通りが区間の一部を構成する「環状第二号線」は、江東区有明から中央区、港区を経て千代田区神田佐久町を終点とする全長14kmの都市計画道路です。

地域連携の経緯

1946(昭和21)年
環状第2号線の都市計画決定(幅員100m)
1950(昭和25)年
環状第2号線の幅を40m に変更
1989(平成元)年
立体道路制度の創設
1996(平成8)年
「環状2号線(新橋~虎の門)地区まちづくり協議会」設立
1998(平成10)年
市街地再開発事業の都市計画決定(約7.5ha)
都市計画変更(平面街路から地下トンネルへ)
2000(平成12)年
市街地再開発事業の事業計画の変更(約8.0haに区域拡大)
2002(平成14)年
市街地再開発事業の事業計画の決定
「環二地区再開発協議会」設立
2003(平成15)年
環2まちづくりを語る会 発足
環状第2号線(海岸通り~桜田通り間、約1.5km)の事業認可
2006(平成18)年
環状二号線地上部道路計画検討会(以降、17回開催)
2007(平成19)年
Ⅱ街区(グランスィート虎ノ門) 完了
「環状2号線新橋地区環境・まちづくり協議会」発足
2008(平成20)年
道路景観分科会・交通対策分科会(以降、5回開催)
2011(平成23)年
Ⅰ街区(新橋プラザビル) 完了
環状第二号線(新橋~虎ノ門)地上部道路景観検討委員会開催(計3回)
2013(平成25)年
環状第二号線(新橋~虎ノ門)地上部道路愛称名が公募により「新虎通り」に決定
新虎通りエリアマネジメント準備会発足
2014(平成26)年
外掘通り~第一京浜間が開通
新虎通りエリアマネジメント協議会発足
Ⅲ街区(虎ノ門ヒルズ)完了
2015(平成27)年
一般社団法人新虎通りエリアマネジメント設立
2019(平成31)年
国家戦略特区(国家戦略道路占用事業)認定
2020(令和2)年
新虎通りエリアプラットフォーム協議会設立
2023(令和5)年
新虎通りが歩行者利便増進道路(ほこみち)の利便増進誘導区域に指定

新虎通りエリアの歴史

江戸時代

北を江戸城の外堀、西を愛宕山、南を芝増上寺とそれに連なる寺院群、東は汐留川を挟んで浜離宮に囲まれており、江戸城に近いことから、武家屋敷、それも徳川家に近い譜代大名の屋敷が多く集まっていました。

明治

明治5年(1872)に、日本で最初の鉄道が開通し、新橋駅(現在の汐留駅付近)が開かれました。その後、明治36年に日比谷通りが整備され、明治42年には烏森駅(大正3年に新橋駅)が開かれました。こうした大通りと鉄道により、近代都市としての骨格が形作られました。

大正

新橋駅周辺は銀座の延長として発展し、カフェー、料理屋、飲み屋でにぎわい、繁華街となりました。また、日比谷通りの整備により、丸の内などのビジネス街との関係が深くなるにつれ、大企業や、それらの事務所・商店が新橋地区に集積するようになりました。しかし、大正12年、関東大震災の影響による火災が広範囲に広がり、芝区役所(当時)をはじめ多くの建築物が消失しました。

昭和

関東大震災後の復興事業として、昭和2年から昭和7年ごろにかけ、区画整理が行われました。昭和30年代に入り、経済成長がめざましくなると共に、都心のビル建設は大手町・丸の内からこの地域へとのびはじめ、昭和39年の東京オリンピックを契機に道路は大幅に拡張され、経済の高度成長を背景にビジネス街として発展し、現在の業務・商業・居住といった複合的な機能を有するまちが形成されていきました。

出典:環状二号線周辺地区まちづくりガイドライン抜粋(港区 平成24年3月)